汽車 その2 |
「蒸気機関車は人間の造った機械のなかで最も人間に近い機械である」と言った人が居ました。なんとも絶妙な表現ですね。
坂を登るときには、煙を吹きあげ大きな排気音を響かせゆっくりと確実に進んで行きます。反面平らな海岸などを進むときには、軽快な排気音を残して滑るように走り去ります。このような様子から先のような格言が生まれたのでしょうか。
「撮り鉄」にとっては坂を登る汽車の方が活気が感じられ、また、撮り甲斐があるので峠を越える所へ出かけることになります。
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峠に向かう汽車(1969年 矢立峠)
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奥羽本線は秋田、青森の県境で矢立峠を越えます。このあたりは素朴な湯治場のような温泉がいくつかあり「撮り鉄」にとっては宿泊所付きの絶好の撮影地でした。
ここを通る汽車は機関車を2台付けて峠に挑みます。 機関車は前後ともD51型です。
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峠を下る汽車
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単線とはいえこの路線は幹線なので列車は短時間のうちにやって来ます。前の写真と同じ位置で撮りました。 |
朝の通勤・通学列車(1961年 川中島)
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長野に向かう信越本線の列車です。客車のデッキには高校生らしき学生がはみだすように乗っています。当時はこのような風景が普通に見られました。
機関車は大正から昭和にかけて造られたD50型です。
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鉄橋を渡ってきた汽車(1961年 川中島)
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長野からやってきた信越本線の上り列車です。鉄製の支柱には幾段もの碍子受梁が並び、その形状から撮り鉄では「ハエタタキ」と呼んでいました。 通信線のケーブル化により今では全く見られなくなりました。機関車はD50型です。 |
夜の駐機場(1963年 高山本線)
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仲間と高山で一泊した折、夕食後の散歩に街を歩きついでに駅の近くの駐機場に行ってみました。
9600型機関車が休んでいたのでスローシャッターで撮りました。
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朝の下り列車(1963年 高山本線)
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翌日、高山駅に近づく汽車を撮りました。機関車の次の客車の屋根構造は一昔前のスタイルで明かり採りの窓がありマニヤ仲間では「ダブルルーフ」と呼んでいました。
機関車は貨客両用のC58型です。
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機関区の風景(1967年 鹿児島機関区)
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この時代はアポイントなしでも当直の助役さんを訪ね、身分と用件を明らかにすれば構内に入れてもらい写真を撮ることができました。
鹿児島機関区は国鉄最南端の機関車の基地で大型の蒸気機関車が多く集まっていました。
給炭、給水作業中のD51型とC61型の様子を撮りました。
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現役最小の機関車(1967年 鹿児島機関区)
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当時の国鉄で現役の最小の蒸気機関車B20型で、長さ7m・重量20t 構内で石炭車の入れ替えをしていました。 なお、この機関車も京都 梅小路蒸気機関車館に保存されています。 |
築堤を行く汽車(1967年 日豊本線)
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鹿児島から日豊本線の汽車に乗り、田野駅で下車し一泊しました。翌朝、宿に荷物を預けカメラだけ持って線路沿いの散策に出かけ、河原の近くで周囲の山をバックに行く汽車を撮りました。
機関車はマニアから「貴婦人」と呼ばれているC57型です。
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農作業をする人と汽車(1967年 日豊本線) |
田んぼの近くを歩いていると農民が田んぼの手入れをしていました。暫らくすると貨物列車がやって来ましたので一緒に入れて撮りました。この路線の貨物列車は軽量のためか旅客用の機関車(C55型またはC57型)が使われていました。 |
次回は関西本線のほかローカル線、私鉄の汽車をお目にかけます。
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