ノスタルジック.レールV


汽車 その3
 前回までは国鉄の汽車だけをお目にかけて来ましたが、今回は国鉄のほかに私鉄の汽車を少し加えてお目にかけることにします。


朝日をあびて(1964年 関西本線)
 早春の朝カーブを進んでくる下りの汽車を撮りました。画面の左側には前回述べました「ハエタタキ」がまだ残っています。 機関車はC57型です。


残雪の鈴鹿山脈(1964年 関西本線)
残雪の山並みをバックに鉄橋を渡る上りの臨時列車を狙いました。ファインダーの中を一瞬のうち通り過ぎました。  機関車は「貴婦人」C57型です。


秋の気配(1966年  関西本線)
関西本線は加太(かぶと)近くで鈴鹿山脈を横切るため峠越えの線路になります。貨物列車は前後に機関車を付けて通りすぎます。線路の土手にはススキの穂が咲いていました。機関車は前後ともにD51型です。


ローカル線の汽車(1959年 日中線)
会津の喜多方と熱塩を結ぶ日中線は1日3往復の運行です。写真はこの日2回目の列車(貨客混合編成)が熱塩駅に到着したところです。 機関車はC12型です。
線路が廃止になった現在、この駅舎は「日中線記念館」として車両の展示場として残されています。


ローカル線の汽車(1967年 高森線)
豊肥本線の立野(たての)と高森を結ぶ高森線の貨客混合編成の列車です。機関車はバック運転のC12型です。
現在、この路線は「南阿蘇鉄道」と名を変えユニークなトロッコ列車も運行しています。


 炭山へ戻る汽車(1963年 美唄鉄道)
この時代北海道ではいくつかの炭鉱が操業しており、石炭を運ぶ鉄道も併営していました。美唄鉄道もこの中のひとつで、数台の蒸気機関車を始め客車、貨車も多数保有していました。
写真は炭山(常盤台)と国鉄美唄駅を結ぶ旅客列車で6両の客車はかなりの乗客を運びました。機関車は国鉄の9600型と同じものです。


石炭を運ぶ汽車(1963年 美唄鉄道)
 石炭専用貨車を牽いて美唄に向かう汽車です。機関車は国鉄の4110型と同型のものです。


強力(ごうりき)の面構え(1963年 美唄鉄道)
 4110型の独特な面構えです。この機関車は国鉄の急勾配区間用に造られ、使用されその後美唄鉄道に譲渡されたものです。
4110型は動輪が5軸ありますが先輪および従輪が無く、したがって全長が短くズングリした形態をしており、大きさの割には大きな牽引力が得られまさに強力(ごうりき)の感じがします。


 山から来た汽車(1963年 真谷地炭鉱鉄道)
町の学校や職場に通う人々を炭山から国鉄沼の沢駅へ運んで来た列車です。運営は夕張地区に炭鉱を持つ北海道炭鉱汽船で、機関車、客車とも古いものを大事に使っていました。この機関車は明治時代に米国で造られた国鉄の8100型を譲渡されたものです。
この鉄道も炭鉱の閉山に伴い1987年に廃止になりました。


頑張る明治の花形機(1965年 東武鉄道)
関東の大私鉄東武鉄道は明治時代に汽車で創業しました。路線の延長に従い機関車の数を増し最大時には国鉄からの譲渡機も含めて60余台を保有したこともあり、その大部分は写真に見られる英国製のものでした。
電化が進み電車や電気機関車が活躍するなかで、蒸気機関車は貨物列車を牽き、最後は佐野線で働き1966年に引退しました。


これで汽車のページは終わり、次回はチンチン電車の風景を
お目にかけることにしましょう。
 


ノスタルジック・レールT   ノスタルジック・レールU ノスタルジック・レールW 
ノスタルジック・レールX   ノスタルジック・レールY ノスタルジック・レールZ 


トップページへ   茂又弘道のページへ