軽便鉄道 その2 引き続き今回も軽便鉄道の風景をお目にかけることにしましょう。 |
磐梯山を望む (1967年 沼尻鉄道)
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この鉄道は磐越西線の川桁駅と硫黄の産地沼尻とを結ぶ約15kmの線路を持っていました。
会社の名前は幾度か替わりましたが、判りやすい「沼尻鉄道」と称することにします。
朝方、磐梯山を望む場所へ出かけたのですがあいにく雲がかかり山容はほとんど見えませんでした。
近くで畑仕事をしていた初老のおばさんを見つけ「磐梯山の雲は晴れるかネー」と問うと、「晴れるダベー」との返事がありました。地元の人の直近の天気予報は当たることが多いので列車を待つことにしました。
しばらくして列車がやって来た時には左側の峰にはまだ雲が若干残っていましたが、おばさんの予報は当たりました。おばさんに感謝しつつシャッターを切りました。 |
街道を行く (1967年 沼尻鉄道)
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川桁の近くでは線路は県道の端に敷設されていて、列車は自動車と一緒に走っていました。 沿線には藁ぶきの家も見られのんびりとした雰囲気が感じられます。 |
雨の停留所 (1968年 沼尻鉄道)
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畑のなかの停留所の風景です。車掌がキップを集めています。この鉄道も自動車に追われ翌年に廃止になりました。 |
二つ堰停留所 (1965年 花巻電鉄)
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宮沢賢治の故郷、東北本線の花巻駅からは花巻電鉄の二本の線路が出ていました。西鉛温泉へ行く軌道線(約18km)と花巻温泉へ行く鉄道線(約7.5km)です。
写真は早春の軌道線の風景です。線路は単線で県道の片側に寄せて敷設され、所どころの停留所で電車の行き違いができる構造でした。雪解けの県道は未舗装で泥んこの状態です。
電車の乗降客は駅員の用意した踏み台(電車の右下に見える)を利用して乗り降りしていました。
背後の酒屋の看板にも時代が感じられます。
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白い花の咲くころ (1969年 花巻電鉄)
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5月上旬の風景です。水のない田んぼには名も知らない小さな白い花が一面に咲いているなかを西鉛温泉行きの電車が軽やかに通り過ぎました。
県道の整備に伴い、この年の秋に軌道線は廃止になりました。
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雪原を行く (1965年 花巻電鉄)
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写真は鉄道線の風景です。こちらの車両は軌道線の車両より大きく軽便鉄道とは思えないくらいです。
また、運転速度も都会の郊外電車並みに感じられました。
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花巻温泉駅構内 (1965年 花巻電鉄)
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鉄道線の終点、花巻温泉駅の様子です。ホームには左側に見える貨車で運ばれたのでしょうかいくつもの荷物が積み上げられています。
鉄道線は1972年に廃止になりましたが、線路跡はサイクリングロードとなり、この駅はバスターミナルに変わり往年の名残りをとどめているようです。
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ワンコに見送られて (1966年 静岡鉄道駿遠線) |
静岡鉄道駿遠線(以下駿遠線と称します)は、東海道本線の藤枝駅を起点とする軽便線と同じく袋井駅を起点とする軽便線が1948年に御前崎近くの地点で結ばれ、延長約60kmの一本の軽便鉄道線として発足しました。
写真は多くの通学の生徒を乗せた列車を見送るワンコと共に撮りました。乗客のなかにこの犬の飼い主が居たのかも知れません。
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大井川を渡る (1966年 静岡鉄道駿遠線)
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駿遠線の新藤枝駅を出発した列車はしばらくして大井川を渡ります。橋梁はご覧のように橋桁以外は木材で造られていて、これでよく大井川の水流に耐えられるものだとこの鉄道の土木技術に敬服しました。
橋梁をゆく列車の客車には側ドアが無かったり、有っても開け放しになっていたりして、乗客も自己責任でひと時のスリルを楽しんでいるようです。
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長大編成列車 (1966年 静岡鉄道駿遠線)
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朝の通勤通学時には軽便鉄道らしからぬ長大編成の列車が運行されていました。普段はディーゼルカーが1,2両の客車を牽いて運行しますが、このくらいの編成になると大型の機関車の出番となります。
客車の中には廃線になった草軽電鉄から譲り受けた車両もありました。
駿遠線も1970年役目をバスに譲り全線が廃止になりました。
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今回で軽便鉄道編を終わり、次回は番外編をお目にかけましょう。 |