横浜 三渓園散策

(シリーズ横浜みなと散策13)


 今回は東京湾を望む横浜南東部のベイエリア中区本牧に広がる国指定名勝三渓園を散策しました。
 園は東京湾に面した“三之谷”と呼ばれる谷あいの地に造り上げた日本庭園で、広大な敷地の起伏を巧みに生かし草木や池があり、四季折々の自然とが見事に調和した景観が見どころで、京都や鎌倉などから移築した歴史的に価値の高い建造物が配置され、国の重要文化財の建物も現在10棟、横浜市指定有形文化財建造物が3棟あります。
 三渓園は生糸貿易により財を成した実業家で茶人の原三渓(実名 富太郎)によって、明治39年(1906)に一般に公開された外苑と、三渓が私邸としていた内苑の2つの庭園からなっています。園の広さは175,000u(53,000坪)です。
 三渓は、芸術家や文学者などの文化人たちと広く交流したことでも知られ、三溪園は美術・文学・茶の湯など近代日本文化の一端を育んだ場所でもあり、学術上・芸術上、そして観賞上優れていることから、平成19年(2007)には国の名勝に指定され、庭園全域も文化財として位置づけられています。
 美しい庭園と巧みに配された建築物の幾つかを以下にご紹介します。
    (本文の一部及び写真説明の一部は案内パンフの説明文を使用させていただきました)。



 入園の際頂いたパンフから案内図の部分をコピーしました。重要建造物や池の配置等三溪園の概要がお分かり頂けるのではないでしょうか。
 正門を通って南門に至る道を挟んで左大池側が外苑、右は原家が私庭として使用していたエリアで、江戸時代初期に建てられた雁行形に3棟が連なる外観の臨春閣を中心に、古建築で構成され繊細なつくりの庭が広がっています。
 
 正門を入ってすぐに大池の向う小高い丘の上に旧燈明寺三重塔が見える
  
 臨春閣(重要文化財)
建築年:江戸時代慶安2年(1649) 移築年:大正6年(1717)
 紀州徳川家初代藩主の頼宣が和歌山・紀ノ川沿いに建てた数寄屋風書院造りの別荘建築。内部には狩野派などの絵師による障壁画の複製(オリジナルは三渓記念館に保存・展示)や洗練されたデザインが各所でみられる。
  
 訪れた日、内苑では茶会が開かれており着飾った沢山の方々の姿が見受けられました
  
 
 御門(横浜市指定有形文化財)
 建築年:江戸時代宝永5年(1708)ころ。移築年大正時代。
京都西方寺にあった薬医門



 外苑は明治39年(1906)一般に向けて公開されたエリア。京都・燈明寺から移された室町時代の建築・三重塔がランドマークとして配されており、梅・桜・花菖蒲・蓮など、四季折々の花を楽しむことができます。
  
 旧燈明寺三重塔(重要文化財)
建築年:室町時代康生3年(1457) 移築年:大正3年(1914)
 京都・木津川市燈明寺(廃寺)にあった建物で、現在関東地方にある木造の塔では最古のもの。
 
 旧燈明寺本堂(重要文化財)
建築年:室町時代康生3年(1457) 移築年:昭和62年(1987)
 三重塔と同じ、京都・燈明寺から移築
  
 
 
 旧矢箆原家(きゅうやのはらけ)住宅(合掌造り)(重要文化財)
建築年:江戸時代後期  移築年:昭和35年(1960)
 飛騨・白川郷にあった建物で、園内にある歴史的建造物の中で唯一内部を見学できる建物です。
 式台玄関や書院造りの座敷など農家ながら立派な接客の空間を備え、寺院に用いられる火灯窓がつけられるなど、飛騨の三長者の一人ともいわれた矢箆原家の豪勢ぶりがうかがわれます。
 現存する合掌造りでは最大級の民家です。屋内では飛騨地方で使われた民具を展示しているほか、囲炉裏では毎日薪がくべられています。黒光りした柱や煙の匂いが昔の生活をほうふつとさせてくれます。


次回は「横浜港シンボルタワー散策」の掲載を予定しています。

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