横手市増田町の内蔵


 かって栄えた町に今も残る外観からは想像もつかない内蔵(うちぐら)が多く残っています。
 江戸初期からの町であり、江戸中期には養蚕・煙草の栽培が盛んとなり増田村はその集散地消費物資も入り町は賑っていたという。
 その後国道・鉄道から外れたため町の商業は衰退するが大地主が多く住んでいたため、明治になっても勢いは残り、現在の町並は切り妻造りの広大で伝統的な商家の建物が多く残り、かっての繁栄を象徴しているようです。
 訪れた一軒の商家の方からお聞きしましたが、学校にも行けない貧しい家からの子が奉公にあがる時に履物もなくはだしで来たという事を先代から聞いている。・・・・とも言っていました。
 当時は貧富の差も大きかったのでしょう。


「増田のまちなみ」紹介パンフ 
 
 
歴史建造物マップ 観光地として売り出しているようです
 
  石直商店
 
 石田理吉家
旧石田理吉家は代々酒造業(銘柄 金星)を営んでいましたが7代栄次郎氏は戦後に増田町病院を開業し、地域医療に貢献。
木造3階建家屋は珍らしく、3階建ての主屋奥に繋がる座敷蔵は土蔵造2階建、明治14(1881)年5代・理吉氏により上棟された
 
   佐藤又六家
 
 増田村商工人名 明治23年
 
  佐藤又六家 内蔵
 
 佐藤又六家 内蔵
 
 佐藤又六家
 
   佐藤又六家
 
 旧佐藤三十郎商店
 
  佐藤三十郎 内蔵
 
  佐藤三十郎 内蔵 裏口
 
 
 佐藤養助商店資料館
増田の大地主だった小坂五兵衛の旧宅 現在は佐藤養助・稲庭うどん併設の資料館



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